センターニュース No.70

(発行・2010/5/15)「電話相談を受けて」より転載

被害にともなう支出と賠償金

お金で解決したくない」「お金より誠意ある謝罪がほしい」「賠償金より自分が傷ついたことを相手にわかってもらいたい」などの声を相談者から聞くことがあります。お金よりも心からの謝罪の言葉が重要であり、被害者がそれを第一に求めるのは、もっともなことです。しかしながら、ほとんどの場合、納得できる「謝罪」は、望めないのです。

 強姦の被害者には精神的ダメージは勿論、金銭的にも重い負担がかかります。日常生活を回復するために、多くの費用が必要になります。 <
>
・体調回復の費用―婦人科、外科、心療内科などの医療費。 

・引越に関わる費用―自宅が被害場所だったり、加害者に住所を知られている場合、引越しを余儀なくされる。

・生活費の増加―一人で外出できない、バスや電車に乗るのが怖い、家事ができないなどの状況になれば、人を頼んだりタクシーを利用したりなど、これまでになかった費用が増える。

 また収入面も、体調不良による欠勤や、告訴した場合は事情聴取や裁判などに係わる休暇のための減収、あるいは仕事を続けられなくなり無収入に陥るなど、大きな損失をこうむります。

 訴えるとなれば弁護士費用も必要です。裁判にともない、事件が周囲や職場に知られることもあり、その結果、悪意のある風評、おせっかい、いじめ、偏見、圧力などといった環境の変化も生じて、精神的疲労から休職や退職に追い込まれることもあります。

 賠償金は長期にわたってかかる心身の回復のための費用の一部を補うものでしかありません。被害をなかったことにしたり、加害者を放免したりするためのものではありません。加害者に罪を認めさせ、責任を負わせるものなのです。ですから賠償金を支払わせることは意味のあることなのです。

センターニュース No.68

(発行・2009/5/10)「電話相談を受けて」より転載

ネットを利用した性犯罪

女性が気をつけていただけでは、性被害は防げないのでしょうか。残念ながら、それが現実ですが、例えば、ネットを利用した性犯罪などは、防げる被害の一つではないでしょうか。

 新聞報道によれば、女性たちが出会い系サイトで被害にあうケースが増えています。ネット上の出会いに女性がはまってしまうのは、普段の生活では、男性に注目されたり、直接交際を申し込まれることは特別なことですが、ネット上に登場したとたん、おびただしい数のアプローチが目の前に現れるからです。一躍、ヒロインになった気分になれるのです。また、メールのやりとりの中で、自分のことを心配してくれたり、理解のあるような言葉に心を動かされてしまうのです。男性の手口は巧妙です。女性の好きな話題を投げかけながら、次第に主導権を持ち、性的な話しへと誘い込みます。そしてヌード写真や個人的な性的情報まで入手していくのです。直接会いたいと言われ、出かけて行って被害にあった女性は、性行為を「強制された」のか「言われるままに」そうしたのか、自分でも明確に区別できにくいのです。

 男性に性的要求をされて、断れずに、後で被害にあったと感じる女性は少なくありません。計画的犯行がほとんどですが、男性はもともとセックスが目的なのですから、計画的という自覚はありません。ロマンスなど求めていないし、女性の気持ちはどうでもいいことなのです。一方、女性の方は、セックスはロマンスの延長上に置いていることが多いのです。ネット上のやり取りでコミュニケーションができていると錯覚していて警戒心が薄くなっている中で、ロマンスを求めてしまいます。

 男性の性的要求や行動が、自分の意思に反すると感じていたとしても、男性に主導権をとられているので、被害にあってしまうのです。 第一の防衛策は出会い系を利用しないことですが、相手のペースに巻き込まれないこと、二人きりの空間は避ける、途中で場所の変更(レストランをホテルに変えるなど)は危険なサインと察知してさっさと立ち去るなどの対策を実行していけば、防げることもあるのではないでしょうか。  

センターニュース No.67

(発行・2008/11/15)「電話相談を受けて」より転載

センターのアドバイザー弁護士の条件

今年2008年、東京・強姦救援センターは設立25年目を迎えました。開設以来、センターではアドバイザー弁護士を依頼するとき、次の2つの条件を出しています。1.女性であること、2.加害者の弁護をしないことです。

1.女性であることとする理由は、被害者が被害について話しやすく、また、心情をわかってもらいやすいからです。ほかにも男性弁護士だと被害感情が甦る場合が多いということがあります。
2.加害者の弁護をしないことという条件については、抵抗感を示す弁護士も少なからずいます。「法律のプロとしてどんな事件でも引き受けるのを信条としている」「強姦する男の気持ちや動機を知ることも重要。それは被害者に付いたときにも役立つと思う」などがこれまで聞かれた声です。

 しかし、強姦裁判で加害者の側に立つということは、いかに加害者の罪を軽くするか、あるいはどうやって無罪にもっていくかに力を尽くすことです。そのためには被害者の「落ち度」を作り出したり、被害者を貶めて攻撃したりするでしょう。こうした弁護活動が実行できる女性弁護士と、被害者が信頼関係を結ぶのは難しいと考えます。

 もうひとつ、見過ごせないのは、裁判で加害者にもたらされる利益です。

 ここに、強姦裁判において加害者に女性弁護士がつくことの影響について、英国・サセックス大学のジェニファー・テムキン教授の注目すべき調査があります。加害者弁護における戦略についてたずねた結果、10ある戦略の筆頭に「女性弁護士の起用」が挙げられています。
>
 調査に答えたバリスター(法廷代理人)たちは、ほとんどが検察側、弁護側の両方を経験している。(10名にインタビュー。女性8名・男性2名)

 戦略1.女性弁護士の起用

 被告(注・加害者)に女性の弁護人をつけるのはよく使われる戦略である。女性の弁護人は、被告にとっての裁判に信用性をもたらすと数人の回答者が述べている。

〝この女性(弁護人)は被告に対し恐怖心を持っていない。そしてまた被害者よりも被告のほうを信じている〟
というメッセージが陪審員へ発信されるのである。「同じ女性が女性を攻撃するほうが、男性が女性を攻撃するよりずっとその主張が有効だと被告は思っているのです」と女性回答者のひとりは語っている。

 陪審員がたやすくこの戦略に取り込まれると回答者全員が確信しているわけではないが、この策略がかなり効果的だと何人かは感じている。
(Journal of Law and Society, Volume 27, No 2, June 2000, Prosecuting and Defending Rape: Perspectives From the Bar)

 欧米にみられる陪審員制に並んで、日本でも来年から裁判員制度がスタートします。
強姦が女性なら誰もが嫌悪感を持つはずの犯罪にも関わらず、女性が弁護するということは、人々に対して被害はたいしたことではないと感じさせたり、被害そのものも疑わしいと思わせてしまう可能性があります。また、被害者と同じ女性が、対立側に立って主張しているのだから、この裁判は公平で、加害者の方に真実味があるという印象を作り出します。

 社会が強姦被害者に対して持つ偏見や厳しい目は、そのまま法廷に持ち込まれて被害者を苦しめています。強姦裁判で、女性弁護士が加害者にもたらす利益を見逃してはなりません。

センターニュース No.66

(発行・2008/4/15)「電話相談を受けて」より転載

被害者に落ち度はない

強姦事件がニュースになると、人々は必ず被害者の行動を取り上げ、こうしたのが悪い、ああしたから被害にあったというように言い立てます。そしてそれは「落ち度」とされて、犯罪者の免罪に利用されます。

 そもそも、落ち度とは何でしょうか。大金を持ち歩いていて盗まれたとしても、その被害者は不注意だったと言われるかもしれませんが、持ち歩きしたことを落ち度として非難されることはないでしょうし、ましてやそのことが加害者の罪の有無を左右することはありません。また「目の前に大金が盗んでくれとばかりにあったから盗んだ」という加害者の言い分が、犯罪の理由として通用することもありません。

 ところが強姦事件では、加害者の車に乗ったり一緒に飲酒したりといったことが重大な「落ち度」として言い立てられ、そのことが犯罪性すら隠してしまうのです。「誘いにのってきたから強姦した」という加害者の言い分がまかり通り、その犯罪を相殺してしまいます。

 車に乗った女はセックスもOKだとか、一緒に飲んだらセックスして当然という、その前提自体がそもそもおかしい話です。こういう認識は、もともと強姦者のために組み立てられた決まりです。だいたい車など皆が乗るものです。ドライブして食事して恋愛が発展して結婚してピースサインで微笑んでいる人々はいくらでもいます。

 誘われて車に乗ったとか、一緒に飲酒したとかは、社会ルールを破ったことではありません。それがなぜ「落ち度」とされるのでしょうか。 たとえば、信号を無視して横断し、事故にあった場合では、信号無視は被害者の落ち度と捉えられて、加害者の責任の軽減に影響します。なぜなら信号無視は社会ルールを破る行為だからです。それでも、加害者は加害者です。信号無視の歩行者は轢いてもかまわないという社会通念はありません。

 ところが強姦の場合は、違います。後から考えればあの時そうしなければ良かったというようなことが、あたかも社会ルールを破ったかのように「落ち度」とされ、責任を問われ、攻撃にさらされるのです。犯罪の責任は加害者にあるという社会通念が強姦に対してもあれば、被害者の行動よりも加害者が何をしたかが第一義に問題とされ、厳しく問われるでしょう。

センターニュース No.65

(発行・2007/10/31)「電話相談を受けて」より転載

夫・恋人に被害のことを話すべきか

夫・恋人に被害のことを話すべきかと悩む場合があります。話すのも話さないのも、自分の気持ちに沿って、自分のために決めるのが一番です。こうすべきとかこうしなければならないということはありません。

 話さなければ、隠し事をしているようで相手に悪いのではないかと悩むというようなときは、まず、相手にどうかということよりも、話したあとはどうなるか、どういうふうになったらいいと期待しているのかを先に考えてみるとよいでしょう。

 夫・恋人は話を聞き、あなたの辛い気持ちを受け止め、何でそんなことになったとか、こうすれば良かったのになどとは言わず、いたわりを示してくれるでしょうか。あなたの悔しさや混乱やさまざまな打撃を真剣に理解し、心身の回復に協力し、何かを強要したり苛立ったりせず、力になってくれるでしょうか。後々何かで意見のくい違いや対立がでたとき、被害のことを持ち出してきて優位に立とうとしたり、あたかも他の男と不倫でもしたかのように非難を浴びせたりするようなことは、ありえないといえるでしょうか。 もし、そうとは言い切れないと思う場合には、あなたが直面するであろう不快な状況の出現を招いてまで、相手に悪いからと被害の話をするのは無意味なことです。

 また、なぜ被害のことを話さないと隠し事をしているように後ろめたく思うのでしょうか。あなたの体はあなたのものであり、夫・恋人からの預かりものではありません。たとえば誰かに怪我をさせられるようなことがあったとして、その怪我のことを彼に話さないで付き合うのは後ろめたいと思うでしょうか。そんなふうに悩むことはないでしょう。ところが性に関連すると、急に自分の体が自分の管理を離れてしまうのは、おかしな話です。男が女を所有物のように思っているのはたしかですが、女性自身もそれを受け入れ、それに合わせようとして悩みを抱え込むのはやめましょう。

 被害を両親に話すかどうかのときは、言ったら心配かけるとか、あるいは怒られたり解ってもらえなさそうだと感じれば、自然に言わないと決めるでしょう。どんなときも、自分の気持ちに沿って自由に判断すればいいのです。

センターニュース No.64

(発行・2007/5/9)「電話相談を受けて」より転載

薬物を使われた被害

近年、睡眠薬などの薬物を使われる被害が目だってきました。薬物を飲み物などに混ぜられると、被害者はある時点でぱったりと記憶が途絶え、気がついたときは何が起きたのか、何をされたのかまったく覚えがないという状態に襲われます。それでも自分の様子や体調から、直感的に何かがおかしいと感じます。後になって落ち着いて考えたとき、あのとき飲みつぶれるような量は飲んでいなかったのにとか、自分はアルコールに強いので酔って意識を失うようなことは一度もないのにどうして、という疑問が湧き、薬物に疑いを持ったり気づいたりします。

 多くの場合被害者は、覚えのない空白の時間に起きたことを、加害者に問いただして事実を知ろうとします。しかし薬物を準備し犯罪を実行するような男が、聞かれたからといって白状するはずもなく、介抱してやっただけだとか、あるいはお互いに合意の上でセックスをしただけだなどと言いつのるのが関の山です。犯行の様子を写真やビデオに記録していることがあります。それをもとに被害者に脅しをかけることもあります。

 こうした被害が起きる背景には、睡眠薬などの薬物が誰でも容易に手に入る社会状況があります。医者に行けば簡単に処方してもらえるほか、インターネットでも買えます。ネット上では薬物の知識や犯罪の手口の情報が飛び交い、気軽な実行を煽っています。

 薬物を使うような犯行は特別な男のすることで、自分の周りにはそんな男はいないだろうと思っている女性がほとんどですが、現実は女性たちの想像をはるかに超えています。現実に沿った認識をもとに考えることが大事です。この前会ったときは大丈夫でも次も同じとは限りません。他の人が一緒でも、酔って朦朧としているのか薬物のせいなのか傍目にはわかりません。

 使う薬物が錠剤を粉にしたものであれば、きれいに溶けきることはないため、グラスの中の異物や底の沈殿物を確認する習慣をつけることも役立つでしょう。また、もし薬物の使用が疑われる事態に直面したとき、告訴する意思があれば、すぐに(なるべく飲んでから24時間以内に)尿検査をすることで薬物の有無を調べることができます。検査は、性被害のための証拠採取キットの用意があるはずの警察に直接行くのが早いでしょう。

センターニュース No.64

(発行・2007/5/9)より転載

今、改めて「レイプ・クライシス」を読む

 「レイプ・クライシス」は、第6回市川房枝基金受賞をもとに、1989年に開催した、東京・強姦救援センター連続講座の記録集です。(1990年9月学陽書房刊)

 主な内容は、講座の第1回「ポルノは女への暴力だ」では、女性グループが作ったポルノ告発のスライドを上映し、ポルノとは何かを明らかにすると共に、ポルノと実際の強姦は密接に結びついており、ポルノが具体的に実行されたら強姦になるということの理解を深め、第2回は「女性にとって性的自由・自立とは」と題して、角田由紀子弁護士を迎え、女性の性的自由について法律の側面から問題提起を行い、続く第3回「つぶせ!強姦神話」では、特に強姦罪について取り上げ、段林和江弁護士が、現実の法的解釈・運用がいかに強姦神話に基づいているか、そのために強姦が犯罪として認められないという現実を伝え、今後の問題点を明らかにしています。第4回「ハードでもソフトでもレイプはレイプ」は、顔見知りの男による強姦をケーススタディしながら、強姦文化と異性愛がセットになっている現実について認識を深め、第5回「女のからだをとり戻そう」では、丸本百合子医師を中心に、女のからだがどう扱われ利用されてきたのか、具体的には子どもを生む生殖機能であったり、労働力であったり、あるいは男の世話をするもの、男の対象物としてしか評価されてこなかったことの認識を持つとともに、今、女のからだを女の手に取り戻すには、何が必要なのかを考えています。

 出版は今から17年前です。改めて読み返し、女性を取り巻く状況はここから前進したのかという問いを投げかけたとき、決して頷くことのできない現状が目の前にあります。

 ポルノによる女性への侮辱と攻撃は更にエスカレートし、日々性犯罪の手口を示唆し、煽動しています。ポルノの影響を受けた残酷な事件は後を絶たず、被害者は低年層へと拡大しています。

 法律の面はいくつかの変化がありました。ストーカー行為の規制や配偶者からの暴力の防止と保護に関する法律が新たに作られ、2005年には集団強姦罪の新設と罰則強化の改正が行われています。夫や恋人からの暴力が初めて被害と認識されたことは前進です。しかし、強姦をはじめとする女性への性暴力に対する見方が大きく変わったわけではなく、強姦罪が保護するのは女性の貞操であるという基盤は同じです。強盗して殺した罪の最高刑は死刑であるのに対して、強姦して殺した罪の最高刑は無期懲役という事実からも、女性の位置づけが判ります。

 顔見知りの男、付き合っている男からの強姦は、異性愛、すなわち女性は男を愛するものと規定されたこの社会では、常に女性の身近にあります。被害が、男女間のもめ事と受け取られる状況は依然として続いています。

 女のからだに対する認識は何も変わりません。出生率の低下に苛立ち、厚労大臣が人々の前で、女は子どもを産む機械と表現し、数年前は当事の前首相が、子どもをひとりもつくらない女性の面倒を税金でみろというのはおかしいと発言、別の議員は、集団強姦をする男はまだ元気があり正常に近いなどと、なぜかその場では皆自信満々に言葉にしています。議員という社会の中枢にある人々からこうした認識が発信され続けています。変化は、そうした発言が取り上げられて報じられる機会が増えたことと、後から謝罪することです。しかし、一方では謝ることではないという反発も増幅し、女性への圧力や攻撃も強化されています。

 石原東京都知事は、女性が生殖能力を失っても生きているのは無駄で罪だと、人の言葉を借りて言い放ち、あからさまな女性蔑視の言動を押し通したまま、この4月、対立候補に大差をつけて知事に再選されました。社会の半数は女性です。女性が誰ひとり票を入れなければ、選挙は別の結果になりえる可能性もあるわけですが、現実はこれで女性からの信任を得たものとの解釈も成り立ちます。

 強姦は女性蔑視、女性差別の問題です。強姦をなくすためには、女性が自分たちへの蔑視、差別、侮辱に敏感になり、自分がこうむっている被害について知ることが不可欠です。

 来年2008年9月、センターは設立25年を迎えます。今、改めて「レイプ・クライシス」に目を通し、ページの一行一行が現在にあっても、大事なメッセージとして呼吸していることに気づきました。ここにまえがきの一部を抜き出し、引用したいと思います。会員の皆様はお読みになった方もおられると思いますが、今一度一緒に目を通してください。

 強姦は、寓話などではなく、日々の現実です。ところが、マスコミなどでは強姦罪は「婦女暴行」、強制わいせつは「いたずら」と言い換えられてしまうことに象徴的なように、強姦の実態はごまかされ、隠されています。その一方で、強姦は暗い夜道で見知らぬ男によって起されるものだということに代表される「強姦神話」がはびこっているのです。社会の隅々まで|司法の場も例外なく|浸透した「強姦神話」は、被害者を締めつけ押しつぶそうとしています。

 強姦が不当に理解され、歪曲されていることによって、被害者のみならず女性たちの人権が侵害されていることは問題にされていません。

 女性が望まない性行為はすべて強姦です。強姦がどれほど女性の人権を踏みにじり、人権を侵害しているかを理解していくうえで、女性の性的自由および性の自己決定権について考えることは重要なことです。性的自由および性の自己決定権は、人間としての基本的人権として保障されなければならないことです。

 また、強姦は、女性全体に仕掛けられた暴力です。強姦は、女性に対して、「女」という身分を思い知らせる役割を果たしていると同時に、女性に対する男の支配、征服、所有を実現する手段となっています。

 この社会には、ポルノをはじめとして強姦を容認し、助長する強姦文化がはびこっています。強姦文化の中では、女性像も強姦を受け入れるものとして作り上げられています。そうした文化にからめ取られずに、女性自身が、自らの性に対する態度決定を、自分の生き方や価値観に基づき、規範として他の何ものにも侵害されずに持つこと(=性的自立)は、強姦を生みだす社会について、正しく理解することから獲得できていくものであると思います。

 知らないこと(=無知)は、それだけで女性を無力にしてしまいます。隠され歪められた強姦を、女性の視点で捉え直すことが、女性が安全で、力強く、自由に生きていく力を育むと私たちは考えます。

「レイプ・クライシス」まえがきより抜粋

センターニュース No.63

(発行・2007/2/15)「電話相談を受けて」より転載

被害を理解するために

顔見知りによる被害を訴えたとき、よく言われることは「ほんとうにイヤならなぜ大声で助けを呼ばなかったのか」、「無理やりなら服のボタンがちぎれるはず。ちぎれてないのはおかしい」、「押さえつけるなどのある程度の有形力の行使は、普通のセックスでもあること」などであり、だから強姦ではないと決めつけられます。
 大声で助けを呼ばないからそれはイヤではなかったのだというこじつけや、ある程度力をかけて押さえつけるのは普通のセックスだという日本の司法の認識には、驚くとしか言いようがありません。こうした認識が保たれる限り、強姦は容認され助長され続けます。

 まず、人が恐怖心にかられたとき、大声を出せるかといえば、それはそう簡単なことではありません。むしろ声も出ないというほうが自然です。また、恐怖心を持つには、派手な暴力や脅迫があるはずだという決めつけも、現実と掛け離れています。女性を怯えさせ、従わせるのに、必ずしも暴力はいりません。怖い顔で一睨みすれば、それだけで恐怖心を起こさせるのに十分です。体格に差があればなお更効果的であり、大抵の場合体格の大きいのは男のほうです。体格の差が力の差に現れることは、レスリングなどの格闘技が対戦相手を細かく体重別に分けているのをみてもわかります。その上、社会的な上下関係などの要素が加わると、抵抗はいっそう抑圧されます。

 一般に、人は驚きや恐怖に支配されたとき、抵抗できないことはよくあります。こうした普通の反応を、強姦被害のときだけ除外して考えるのはおかしなことです。また、なるべく従順に振舞い、加害者に逆らうつもりがないと思わせることで、被害を最小限に食い止めようとすることもあります。抵抗がなければ合意があるというのは、男の都合のいい解釈です。力をかけて押さえつけるのは普通のことという認識も、男が一方的に思い描いているストーリーです。

 強姦は女性の人権を侵害する犯罪です。被害を、男の都合でできたルールの中で判断していては、女性の受けている被害の事実は見えません。偏った認識を点検し、根本から改めなければ、法律が逆に強姦犯を守るという、さかさまな事態が起き続けてしまいます。

センターニュース No.62

(発行・2006/10/15)「電話相談を受けて」より転載

顔見知りによる被害と謝罪の要求

顔見知りによる被害の場合、加害者に対して、誠意を持って謝って欲しいと望む女性は少なくありません。顔見知りからの被害は、加害者が信頼関係を利用するので、被害者は、驚きや混乱、不安や恐怖、怒りなどに襲われると共に、無力感や失望感などの大きな精神的打撃を負わせられます。

 受けた打撃から回復するには、打撃をもたらした相手の男に心から謝ってもらいたい、それによって苦しみが軽くなるはずだ感じると、その目的に向かって被害者は行動を開始します。積極的にメールを書いたり電話をするなどして連絡をとります。謝罪を引き出すという目的を持った交渉ですから、そのトーンは友好的です。相手を罵ったり、怒りをあらわに要求をつきつけたりしては、話がうまく進みにくいというのは誰もが持つ知恵です。相手が悪い事をしたと素直に思ってもらえるよう、問題を丁寧に説明し、謝罪を求めます。相手が思うような反応でない場合は、自分の話し方が不十分なのではと思い、更に重ねて連絡をとり続けます。こうした一連の行動が、社会からは被害を否定され、単なる男女関係のもめごとというふうに決め付けられてしまいます。

 交渉の末、それでは謝るから会おうという展開に進むことがあります。このとき女性は、悪い事をしたと認めた男に対して、再び一定の信頼感を持ち、大半は相手の都合に合わせて出掛けて行きます。ところがそうして行った場所は謝罪を受けるのにふさわしいとはいえない所であり、男は当然謝罪をするために現れるのではなく、目的は前と同じことを繰り返すことにあります。

 謝って欲しいという被害者の気持ちは自然なものです。しかし、男は被害者が思うようには悪い事をしたと思っていませんから、実際に期待するような謝罪を引き出すのは難しいでしょう。

 ほとんどの加害者は合意があったと話を作り、言い張ります。そうした相手に被害者だけが真剣に誠意を持って接し、交渉し、その結果、被害が否定され、加害者の言い分がまかり通るのが、顔見知りによる被害の特徴です。

 どうしても謝罪を求めるという場合は、文章なら用件をはっきりさせ、謝罪を求める理由を明確に書いたものを送りましょう。会って話すというときは、ひとりでは行動せず、信頼できる人を伴って行くとよいでしょう。

センターニュース No.62

(発行・2006/10/15)より転載

被害をなくすためにできること

メディアなどで「女性が性被害にあわないために」というテーマがしばしば取り上げられますが、センターにも取材の申込みがくることがあります。強姦救援センターなら、女性が被害にあわない特別な方法を研究しているはずだと思うのかもしれません。残念ながら「被害にあわない方法などない」というのがセンターの答えです。

 ひとつだけはっきりしていることは「被害は男のいるところでだけ起きる」ということです。となれば、絶対に男には近づかず、自分の存在を男に認識されないようにするということができれば、理論的には被害にあわずにすみます。しかし、そんなことはおよそ不可能です。

 女性が被害にあわないためにとして昔からよく言われているのは、夜遅く出歩いてはいけないとか、露出の多い派手な服装はよしたほうがよいなど、挙げてみれば全てが女性への禁止事項です。しかし、被害の起きるのは夜遅くに限ったことではありませんし、服装とは無関係に犯行は行なわれています。つまり仮に女性が、吹聴されている禁止事項を守ったとしても、被害は起き続けます。なぜ被害が起き続けるのかといえば、女性の行動を規制すれば被害が起きなくなるという考え方そのものが、大きく間違っているからに他なりません。間違いを知り、被害の原因を正しく捉えれば、被害の起きない方法は目の前にあります。

被害はなくすことができる

 被害をなくすため、減らすためにできることはいくらでもあります。

 まず、強姦をする者がいなければ強姦被害は起きず、痴漢をする者がいなければ痴漢被害は起きないという、この単純な事実を社会が認めることです。
被害の原因は加害者です。ところが、被害が起きるのは、女性が被害にあわないよう努力しなかったためだとする論理が、社会常識として流布されています。捻じれた「常識」は、あたかも自然の摂理のように、人々の無意識の領域にまで浸透しています。強姦神話が吹聴され、被害者は責めを負わされ、犯行は容認され助長されています。この間違った「常識」をリセットすれば、被害をなくすためにできることがはっきりしてきます。

 まず始めに、男は女性に性被害を及ぼしてはならないという、当り前の社会規範を、当り前に築くことです。

「痴漢出没、注意!」の看板をよく見ますが、痴漢は熊ではないのですから、注意を呼びかける先が間違っています。「痴漢は逮捕、問答無用!」とすれば社会の姿勢もはっきりします。

 女性の行動に責任を被せてきたエネルギーを、女性の安全が守られる環境のために社会全体が協力するということに振り向けるなら、少なくとも性犯罪の助長は止められます。たとえば現在、社会が日々ばらまいているのは、強姦や痴漢を男の楽しみだと肯定してそそのかす、おびただしい量の出版物であり映像です。それらはポルノと呼ばれるものに限らず、誰でも見られるインターネットのサイトやTV番組、身の回りにある雑誌、漫画本なども例外ではありません。女は強姦されるのを待っているとか、男に身体を触られるのを喜んでいるとか、肌を出した服装はオレを誘っているとか、女を思いどおりに支配するのは男らしさの証だなどというメッセージを、子どもの頃から受けて育つ男たちが、女性にどういう認識を持つか、言わずとも知れています。その種のメッセージが含まれるものを検証し直し、間違った認識を正すための根本的な対策に取組めば、際限もなく犯罪の実行がそそのかされる状況は変わるはずです。

電車の「痴漢撲滅」運動

 駅には最近「痴漢は犯罪です」と教えるポスターが張られ始めました。これまで社会は痴漢を犯罪とは思っていなかったことを改めて知らせてくれる風景ですが、それで起きた変化は何かというと、男たちによる冤罪が問題だという大騒ぎです。女性が間違えたりウソを言われたりしたらたまったものじゃないと、女性を標的に攻撃の開始です。しかし、女性に矛先を向けるのは筋違いです。問題は自分が冤罪になるのを身近に感じるほど痴漢犯罪が起きているという事実です。冤罪が心配なら、冤罪の原因である痴漢犯のほうを標的にし、攻撃すればいいことです。男たちが皆で痴漢を見張り合えば、痴漢は減り、冤罪の心配も減ります。

 また、痴漢逮捕の協力者には、協力シールを贈呈したり、手続きなどに要する負担の軽減や、職場が遅刻扱いにならない条例を作るなど、行政も本気を見せた対策を社会にアピールすべきです。やっていないという言い逃れには、痴漢の手についた極小の繊維を鑑定するという「微物鑑定」の適用を進めるなど、科学的捜査に力を注ぐ姿勢を徹底すれば、言い逃れの道を封じ、抑止力も持つでしょう。性犯罪をなくすには、問題を正しく認識した上での適切な対策が重要です。