センターニュースNo.42

(発行・1999/12/15)「電話相談を受けて」より転載

専門家の利用のしかた

体の具合が悪いとき、たいていの人は医療の専門家である医師や病院を訪れます。
強姦の被害者も、精神的な苦痛の治療を求め、楽になりたいと願って、その道の専門家を探して行くことがあります。専門家という立場に信頼と期待を抱いて訪れ、期待どおりうまくいって、楽になれることもあります。しかしその一方では、うまくいかないという場合もあります。

専門家は往々にしてその人の精神状態について、家族関係や生い立ちというところに着目し要因を求めようとしがちです。そういったとき、被害者は自分の苦しみが自分に原因があるかのように思わされることがあります。そのことで思わぬ新たな負担を背負いこみ、より苦しくなることも起きてきます。またそれに、AC(アダルトチルドレン)や共依存、嗜癖、PTSD等というような専門的な言葉を当てはめ診断をつけ分類しようとします。そのように自分の状態に名前がつき客観化されたことで、安心したりプラスになることもあるでしょう。しかし、多くの強姦の被害は実際こうした分類の中にはおさまりきれない現実もあります。

たとえ専門家と名乗っていたとしても、強姦の問題については、すべて理解しているとは言い切れません。そのために、専門家を頼り期待を抱いて行ったときに、逆に混乱させられ傷つくことも起きるかもしれません。
もしこれが、一般の医者にかかった場合では、症状が改善されないとか、受けている治療に不安や不満を感じたら、他の医者に変えてみるなど、それなりの対処をするのは自然なことです。しかし現在、性暴力被害の専門家とされている受け皿は非常に少なく、その選択肢は限られています。そのため、ここしかないというふうに権威として頼りがちになり、ますます気持ちに圧力がかかります。それによって、自分自身のための自由な判断が阻まれる結果を招きがちです。

日本ではまだ強姦の問題が根本的なところから正しく理解されていないため、個々の被害者の気持ちにフィットし、期待に応えられる専門家を探すのは難しいのが現状です。専門家を利用するに当たっては、これらの現実を知っておくと役に立つでしょう。

センターニュース No.41

(発行・1999/8/15)「電話相談を受けて」より転載

告訴後「示談」を持ちかけられたら

被害者が警察に告訴をした場合、加害者の弁護士から「示談」の話しを持ちかけられることがあります。

示談とは一般に、当事者間で話し合いにより解決をはかることですが、加害者の弁護士が被害者に提示する示談は、加害者にとっての利益が目的です。早く言えば、示談金と引き換えに、検察が起訴する前ならば、被害者に告訴を取り下げさせることが一番の目的であり、起訴された後では、判決の時に刑を軽減させることが目的になります。このような示談交渉は、加害者が謝罪し、損害賠償を申し出たとしても、被害者にとっては腹立たしいものです。

一方では、刑事裁判で加害者がたとえ有罪になっても、刑罰は国が犯罪者を罰する行為であり、被害者に対する損害賠償責任は扱いませんので、加害者から被害者への賠償金の支払いは一切行われないということがあります。損害の賠償責任を取らせるには、被害者が民事上の請求を起こして交渉するか、加害者が応じなければ民事裁判に訴えることになります。これには訴訟費用の負担と、労力や時間を費やさなければなりません。

こうした現実を考えたとき、賠償責任を取らせる手段として、加害者が申し出る「示談」を有効に使うことは、ひとつの方法でもあります。ただし、前述のような加害者の目的を考え、どの時点で示談に応じるかは、判断を要するところです。

また「示談」の内容にも充分な注意が必要です。示談書に署名する際は示談金の全額と引き換えに行い、住所を加害者に知られたくなければ示談書に記載しないこともできます。加害者の弁護士は加害者の都合と利益のために動きます。法律家なら双方に公正に接するというわけではありません。こちらも弁護士を頼むと力になるでしょう。

実際、判決の前に示談が成立し賠償金が支払われると、刑が軽減され、その上犯罪や被害が帳消しになったかのように思われる風潮があります。しかし、例えば交通事故などでは、加害者が被害者に賠償金を支払うのは当たり前の話しであり、それにより被害が無かったことになると思う人はいません。まして、強姦の被害者が賠償金を受け取るのは、民法に則った当然の権利です。それが加害者を免罪したり、また、許したものとするような解釈は、重大な誤りです。

センターニュース No.40

(発行・1999/4/15)「電話相談を受けて」より転載

被害者像を押しつけない

警察に性被害の相談窓口や性犯罪捜査係が設置されたなどのニュースとともに、強姦の実態とか被害者の声といった内容の記事も目にするようになりました。

それらの多くは、被害者が心の傷を受けたことにより、「殻に閉じこもり、人間不信に陥って、これまでの生活が続けられなくなる」ことなどを挙げています。そして、そのような状態の被害者が、周囲の励ましなどにより「勇気を持って」相談し、「第二の被害者を出さないためにも」との思いから「心の傷を乗り越えて」告訴に踏み切ったという内容が少なくありません。

 こうした記事の中には、被害者とはこういうもの、被害にあったらこうすべきという固定されたイメージがあります。しかし、被害者の中には、何事もなかったように振る舞うことで精神のバランスを保ち、今まで通りの生活を続けようとする人も大勢います。そのような人は、周囲から見ると強姦の被害者像から外れることになり、「たいした被害ではなかったのでは」とか、「本当は強姦ではなかったのではないか」とさえ思われがちです。

 あるべき被害者像の典型が「被害にあったら、泣き寝入りをしないで勇気を出して訴えましょう」というものです。しかし、社会には強姦に対する根強い偏見があり、捜査機関や司法の場も被害者への理解が決して十分とはいえない中で、「勇気を出して訴えましょう」というのは、無責任な押しつけです。

 被害者に対しての十分な配慮と、正当な対応が保証されない現状は不問のまま、告訴しないのを「泣き寝入り」と決めつけるのも、責任のすり替えにほかなりません。さらに、「第二の被害者を出さないため」という大義名分を出して告訴するよう勧めるのは、圧力をかけることとなり、それは筋違いです。問われるべきは加害者であり、この状況を許している社会そのものです。

 被害者像にとらわれていると、被害が解らないばかりか、被害者に責任をすり替えたり、圧力をかけることになります。

東京・強姦救援センターは

1983年に女性たちによって設立された日本で初めての強姦救援
センターであり、民間のボランティア団体です。

被害にあった女性のための電話相談を行っています。
プライバシーは完全に守られます。