センターニュースNo.47(2)

(発行・2001/8/15)「電話相談を受けて」より転載

女役割にごまかされない

加害者が、被害者から謝罪を求められたときに取る典型的な態度のひとつに「女として扱っただけだ(強姦なんかしていない)」というのがあります。
つまり、全く悪いことをしたとは思わず、被害者が怒っているのは、自分の後の対応がまずかったためだろうとしか感じていないものです。加害者のこうした態度の背景には、社会においてあらゆる場面で女性に要求されている女役割の意識があります。
 女役割とは、この社会の中で女が果たすべき役割として割り当てられていることの全てです。家事や育児はもちろん、男に奉仕すること、男の性的欲求に答え満足させること、男の機嫌を取ることなども女役割の重要な要素です。このことは、女とはこういうものといった考え方のベースにもなり、人々の意識の中に定着しています。
 前述の加害者の「女として扱って何が悪い」と言わんばかりの態度は、男の欲求に答えて性的奉仕をすることも女の役目だという、社会的な意識の延長線上にあります。
 女役割が問題なのは、女性が男に従属し、依存して生きることを形づけていることです。また、その生き方を女らしさと価値づけ、その役割をまっとうしない女性に対しては非難と攻撃が向けられることです。非難と攻撃は男からだけでなく、女役割に照らして判断することで、女性たちの間でも起てきます。「女の役目は他人の言う通りにすること」と言われれば、それは間違った話だと分かりますが、「女の役目は男の言う通りにすること」と言われると、そんなものだと思ったり、おかしいと思っても受け入れている現実があるからです。
 女性たちは、常に女役割を求められていますが、要求されることの根底にあるものは男の都合に合わせた、男のためのものであり、女性自身のものではありません。そのため女役割は、女性に対して犠牲や抑圧を強いています。そして、この女役割を男のために果たすことで、庇護や報奨が与えられる仕組みになっています。
 人には自分自身の人生を生きる権利があります。しかし、女性がそうしようとするときにぶつかるのがこの女役割という社会の仕組みです。この仕組みに気付くことが、強姦の問題の根本である性差別を分かり、女性同士が認め合っていくための第一歩といえます。

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